
字遊展とは、書人一鬼香葉さんと、その弟子さん達の書の発表会です。今年で五回目のようでして、私共が会場デザインを手がけさせていただいて以来、4回目でしょうか。一鬼先生は、毎回、漢字、若しくは文字の起源に遡って、テーマを決められます。今年は「問う」ということで、リーフレットに大きなハテナが書かれています。「問」の文字の成立は、漢字学者白川静氏の説によると以下のとおりです。
問は家の門口でものをたずねるというような字ではない。門の前に置かれているものは、(盃の図)であり、神に申すことばである。門は人家の前に立てるものではなく、神の住むところの廟門であった。
「漢字百話」白川静 /中公新書 より抜粋
※(盃の図)は、象形文字なのでパソコンの辞書にはなく表記できません。
白川静氏の漢字起源説を読むと、なるほど、どういう動機で文字が出来上がってきたかということが、暴かれていて、大変興味深いです。漢字においては、いかに古代人が、この世の次元と超えたところ(=神)との交信を生活の拠り所にしていたかを、現在に伝えているように思います。漢字そのものが考古学的資料、ということになります。
以下にもう一節。
「古代の先進的な文化地帯には、ヒエログリフやくさび形文字をはじめ、多くの文字が生まれた。それらはいずれも、象形文字であった。しかしこれらの象形文字は、比較的早い時期に相次いで滅んでいった。ただ漢字だけが、今もなお不死鳥のように生き残っていて、その巨大にして旺盛な生命力は、容易に枯渇を見せようとしない。
古代の象形文字である漢字が、いまも行きつづけている理由として、大体二つのことがいえよう。一には、さきに述べたように、この民族の歴史と文化に断絶がなく、彼らがかつて文化的敗北を受けたことがないということである。二には、その言葉を表記する方法として、これに代わりうる適当なものがないということである。」
「漢字」白川静/岩波新書 より抜粋
そんなこんなで、「問う」というテーマに従い、ささやかな立体的仕掛けを会場に加える計画です。お近くを素通りされるなら、今一度お気を転じて、お立ち寄りください。
テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2012/05/13(日) 08:48:44|
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神官の家(2007)を訪ねて、対馬に渡った。築200年以上の星霜を重ねた住宅の、大々的なリノベーションであった。壊して新築かというところを、辛うじて免れることのできた幸運な民家であった。そもそも200年の住宅であったから、その改修から5年経ったごときでどうということもないはずだが、やはり、新築規模のリノベーションであるから、素性は新築である。頭のどこかで気になっていた。「便りがないのが良い知らせ」とばかりは、言ってられない。設計者の方から「最近どうですか」と訪ねるべきかもしれない。が、訪ねるべき対象は増えていく一方、なかなか実行に移しにくい。
そんなとき、この家の施主さんから連絡があった。「すこしまた手を入れたいから、見に来てくれないか」の内容。離島は、よっこいしょという感じで出向くことになるが、歓待しますの一言につられて、家族同伴、公私混同のツアーを組むことになった。4月1日、離島の桜吹雪。変わり得ない材料で造ったモノは、どれだけきれいであるかの不安と期待があるが、変わらざるおえない材料で造ったモノは、どんなふうに変わっているかの、不安と期待がある。同じ不安と期待なら、後者の方が可能性に拡がりがあり、愉しい。蓋を開けてみるとまずまず。外壁はすべて、地場の杉。亜麻仁油塗りの仕上げは、そのまま、予定通り黒くなっていた。軒がないところが、もっとも美しく灰色化していて、これには少々驚いた。自然が着色したものは、うまく条件が整えば、かくも美しいのだ。なにかの塗装による色とは、まるで異なる。このように美しくエージングを得る条件とは、おそらく杉の素性が絡んでいるだろうし、軒の出具合、張り方向、その地の風向き、なども考えられる。杉の素性については理屈が見えないが、張り方向はやはりヨコよりもタテの方がよさそうである。(少なくとも色については)ちなみに、本土の常識として最も安い外壁材のサイディングは、ここでは、運搬料が加算され、地場の杉板張りの方が安かった。そういう意味では実に爽快なサイトであった。対馬の新鮮な海産物で想像を超える歓待を受けながら、私がこの地に呼ばれた施主の本心を聞く。「どのように変化しているかを見て欲しかった。」同じくものづくりに専心するその施主さんの他意のない、屈託のない思いにより、幸運にも自身が設計したものの答え合わせをさせてもらったように思う。
テーマ:建築 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2012/04/29(日) 05:21:16|
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「対馬は、これまで朝鮮へ属したことはなく、有史以来、日本である」という司馬遼太郎の一節に勇気づけられて、対馬へ渡りました。2006年の秋、ある陶工へ会いにいくためでした。対馬空港から最北端を目指し、レンタカーで1.5時間、比田勝という港に出ます。晴れていれば、韓国の南端都市、釜山が見えるところです。思えば、対馬は朝鮮半島と本土との連絡役を幾時代にも努めました。日露戦争の際には国の最前線として、砲台がいくつも建てられました。つまり、私達の領土の突端に値するところです。そんな場所への興味は司馬遼太郎も旅したほどですから、言うまでもありません。しかし、私が出向いた目的は、地理的歴史的な関心の以前に、その陶工の家に代々伝わる築200年の住宅を改築するためでした。人様の家を設計するとは、そこの住人と深くお付き合いするということですから、求む求めずにかかわらず、その人の、思いや希望や目的を知ることになります。陶工Hは、施主さんという関係から始まりましたが、その後、単なる施主という相手ではなく、ものづくり、という視座を共有した、学ぶべき兄貴として接することになりました。
2007年、築200年の古家を大きく改装して以来、そこから5年経ちました。ヤキモノを製造するための場所を自ら開墾し、自力建設をはじめて、やはり5年が経っていました。登り窯あり、沢の冷風を愉しむ(京都のそれを模した)川床あり、対馬の伝統的な小屋と呼ばれる倉庫建築を移築し、それを茶室として仕立てた空間あり、互いの小屋を緩やかに仕切る生け垣あり、時には大工さんやその他の職人さんたちの手を借りながら、一人で作り上げた、不思議な場所が出来ていました。
自力建設の世界は私的でありながら、時には、世界に見染められるような普遍性にも繋がっていきます。例えばフランスのシュバルの理想宮は、シュバルという名の郵便配達屋さんが、自ら拾ってきた石ころを自ら積み上げて、いろんな国の様式的な建築を模して造っています。それからアメリカでは、ロサンジェルスにワッツタワーというこれまた、拾ってきたモノで建てられたタワー郡があります。サイモンロディアというブルーワーカーがある日思い立ち、やはり30年近くかけて、自力で自らの世界を構築した例です。日本では、高知市の沢田マンションという集合住宅が自力建設として有名でしょうか。いずれも、セルフビルド=自力建設とは、独自の私的な世界を造るものですが、それが秀逸になると、やはりそこに普遍的ななにか、人間の哲学のようなものを発するように思います。
さて、話はずれかかりました。対馬の北方の山中の、陶工Hの私的世界、軋轢というようなものはないにしても、確かに島の人々からは、理解はされにくいだろうということを容易に想像されます。研ぎ澄まされた個性の立ち位置は常に危ういものでしょうから。しかし、同じものづくりの関わる者として、ものづくりへの関心が深い者にとっては、おそらくこの場所はとても愉快なところです。李朝時代の陶器の技術的再生を計る陶工Hの作品の中には、当然のことながら、抹茶茶碗があります。彼の私的空間の一つは、彼が一人で抹茶を飲む空間でした。人様のために作るものを作り手が自ら確かめるというのは、当たり前のようですが、実は、そうでない場合が多い。自分は料理はしないが、鍋を工場で作っている、残念ながらそんなパターンです。陶工Hは、まずは、自らが自らの茶碗で茶を点てて、飲むための空間を設けていました。そこには、朝鮮半島から求めてきた骨董が、絶妙のバランスで配置されています。織物のための木製道具、お菓子のための鋳型、お餅を供えるための専用台、壁掛け用燭台、銅鏡、家具、麻布のタペストリー・・・。小さなモノが点々としています。一言で言えばこキレイな骨董屋といった感じです。失礼、こギレイ、という言葉は相応しくないかもしれません。別のなにかが漂っています。品々は商売のネタではなく、自らの腕を磨くために、そこに只あります。商売のための外向きの室礼(シツラエ)ではなく、自らの修練のために置かれています。その場所は、確かに、人里から隔絶した場所にあります。そんな場所で、自らが教科書と定める古き良きモノモノと正面から対峙する、考えようによっては厳しい場です。彼が教科書としているモノモノ、彼が読み込もうとしているモノモノの背景のようなものだけが充満している。こギレイな骨董屋と異なる空気とは、むりやり言葉にするとそういうことなのでしょうか。教わるとは、先生から学ぶことがまず思い浮かびますが、無言のモノを凝視しつづけ、触り続け、モノから解読していくという学び方を、陶工Tはこの私的空間で行っているのです。
テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2012/04/12(木) 17:18:03|
- 物心集おぼえがき
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コテコテながら、茶の稽古を始めた。遊び心ある友人たちがちらほらとやっているのを、やはり心のどこかで出し抜かれたと思う感情があったのだろう、思いがけず身近なところでの師との縁に、すっと、やってみようという気持ちになっていた。茶はいうまでもなく、建築設計を勉強している中で、茶室という日本の定型と必ず出くわす。日本は西洋と異なり、歴史上に発生した歴史上の定型は概ね時代を超えて造り続けられるから、茶室は手を替え品を替え、現代でも造り出され続けている。私も一度だけ、鉄骨造の事務所ビルの「鎖間」として3畳の鉄板で出来た茶室を造ったことがあった。しかし、そのようにして、茶室との関わりはあっても、決してその中身の「茶」との縁がなかった。
さて、最初は、やはりカタチを覚えるところから始めなければ仕方がない。よく言われる、お稽古事としての現代の茶のイメージを司るのが、茶の作法=カタチである。最悪の場合、形骸化しているなどというレッテルさえ飛び交う。「実験茶会」と称し茶の形骸を粉々に砕こうとした岡本太郎の振るまいに、正直頷いてしまう自分もあった。そのカタチが、外から見ているだけだとカタチとしてしか見えないからやってみようということになったのである。今はまだ、たどたどしいの一言に尽き、もどかしいかぎりである。
それでも、この先にあるものがすこし垣間見えたような気がした。この道の達成が何で測られるのかの全貌は、今はまだわからないが、実は単純にお茶の味そのものを求道しているのではないかと思った。一杯のお茶を頂き、「美味いお茶でした」の意思表示を約束事として捉えてよいかどうか。本当に美味しい時には、言葉に感歎符が加わるはずである。「利休の茶はうまい」の内訳は、もてなしの全てに関わっていることは想像の範囲であるとして、茶そのものが美味しかったのではないか、と想像をしてみる。利休好みと称して、茶室や道具のみから彼を想像するより手前のことであるかもしれない。
その味はなにで決まるのか。水の素性、釜の素性、茶の素性、湯と茶の分量、仮にそこまでであれば、昨今の料理番組さながら、なんの不明瞭なこともない。そんな物理的なものであれば、茶一杯にここまで意識、というか民族の魂を傾けてはこなかったはずだ。おそらく、そこに茶人の精神状態が加わるのだ。どこまで、その行為に純粋に集中できるか、その如何により茶の味が変わる。そして、それを敏感に受け止めることができるかどうか、客の方にもハードルができる。であるからこそ、自ずと両者に所作振るまいのカタチが出来てくる。このあたりが、単なる飲茶に「道」がくっついていることの要因に違いない。わび茶の始まりは村田珠光だと、中学の日本史に出てきたが、彼は茶人以前に禅宗の僧侶だった。茶道が仏道修行を始源に持っていることを考えれば、茶+道となるのは至極当然であろう。今に伝わる茶は、カタチなのではない、お前の茶の味だ、と考えると、俄然、コテコテのお稽古事がエキサイティングなものになりそうである。
テーマ:芸術・心・癒し - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2012/04/07(土) 13:22:08|
- センシブルハウス
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